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 1-1 トレーニングの基本(其の一)


最近はトレーニングに関する情報が氾濫している。◯◯大学、◯◯研究所などの肩書きが目に映るが、その内容はどの本も余り変わりなく、同じパターンである。言葉は巧みで、若い女性モデルやイラスト等を挿入していることが目立つ。私は、トレーニングは身体の表面の筋肉のみを強化すれば良いのではないと考える。トレーニングの内容のみが論じられるのではなく、「何故に?」「何処を?」「どの様に?」「どれ位?」という原理や原則が確立されないといかんと思う。


身体は、はじめは精子と卵子の受精によって生じる。その後、のう胚期に入り、さらに各器官が組織化されて人体を形成していく。身体は、体内と体外が密接な関係をもちながら生育していくのである。その過程において、人の脳は母胎内で早期に形成される。また、目は見えなくても、手や足への触覚の刺激によって、身体は動き出す。例えば、手足は羊水の中で浮いている状態から発達が始まり、次第に何かにつかまるような「動き」が見られるようになるのである。また、体外からの音や腹圧などの刺激によっても動きは順次発達していく。したがって、運動は母胎内で既に始まっているといえよう。トレーニングを考える上では、人体の形成の過程を振り返り、発達してきた順序にしたがって行うことが順当であると確信する。


そのような観点から、母体に別れを告げてからの身体活動(運動)の発達はもちろん、母体にいる時に何をしているのか、どんな動きをしているのか研究することも重要であると考える。トレーニングの原理・原則の根源は生育の過程の中にも見出すことが出来るはずである。


トレーニングでは「どのような準備が必要なのか?そしてそれは何故なのか?」を繰り返し考え直し、実践することが重要である。また、実践と修正の繰り返しにより、トレーニングの原理・原則はより明らかになっていくのである。