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 3-3 叱られて学ぶこと


厳しい父には、事ある度に頭やほっぺたをたたかれた。その理由は、返事が小さい!物事をはっきりと言え!とのことが多かった。こんな叱られてばかりの生活に大きな反発を覚えていたため毎日自分の家に帰るのがとてもいやだった。しかし、私は生まれつき鼻にかかった、しかもはっきりしない声の出しかたで、今も余り変わりなく皆さんに迷惑をかけている。自分でははっきり言っているつもりであるが、実際は違うのに自分に腹を立ててきた。例えば、外国人と話した時などももう一度(Pardon me?)と言われることがある。まだまだ勉強不足?鼻声であるが困ったもんだと悩んでいる。


幼少の頃より、父に叱られると決まって母より「叱られることは、おまえの将来必要なことなので言われたように改めることが大事なんだよ!」とやさしくなだめられた。「腹を立てずにはっきりと答えないとだめだよ!」となだめられ、頭では理解も出来たが、実際「びんた」に直面すると大いに腹が立つばかりであった。


思い出すのだが、小学校四年生の時、名古屋への遠足(象の見学)があったので、名古屋から東京に逃げ出すことを日夜計画していた。失敗は許されぬ計画に汗をかいた。毎日ドキドキしていた。いろいろ考えたが、ついに変装が十分にできないことで断念した。


叱られた経験から学んだことは、怒られないようにするのではなく、まず自分の意志表示をしっかりすることである。叱られた後に自分がどのように対処し、解決していくのかが重要であると思う。本当は、他にもたくさんのしかられる理由があったのだが、興奮のあまり聞き取れなかったのだろう。今では、子を持つ父親だが、余程でないと「たたけ」ない。