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 3-5 まず実践、そして研究


島国である日本は、すべての面で輸入に頼ってきた。体育・スポーツでも武道の他は、すべて外国から入って来たと言えよう。このような歴史的背景の中で、まず模倣し、実践することから始めた。世界のレベルに近づくために、高く目標を掲げ、実践に実践を重ねて、日本独自のスポーツ理論や哲学を確立して来た。その後、文献や思想が一度に沢山輸入されて来たので、外国語を日本語に翻訳するのが大変困難となった。そのため、英語の堪能な人に翻訳を手伝ってもらうようになった。このため今までの実践中心の人達の発言力が弱くなってきた。


だんだんと時が流れ、海外文献は益々英語を得意とする人達を必要としてきた。そこで大きな問題が出てきた。それは、他人の訳書でも平気で皆に伝えるような研究者が多くなり、実践の中から見出されるようなフィーリング的理論が伝えられなくなったことである。例えば、ウエイトトレーニングについて述べるならば、「十回を三セットやればよい」とあったとき、選手はそれを信じていた。しかし、「十回三セットをどのようにやるのか」という「行い方」の詳しい内容が書かれていないため、具体的にどうしていいのかは解らなかった。実際のトレーニングでは、何をねらいとして、どの様に行なうかが問題となる。この事例を一つとっても、不充分な情報や、誤った考え方が、実践しない研究者に伝えられることによってトレーニングへの弊害を招くことがあるのだ。


これから指導者になるものは、今後、このような過去の出来事にとらわれないで、まず実践し、そして反省し、研究することである。特に、実践から得られた技術・体力トレーニング法、動作の行い方について、皆にわかりやすく言葉を統一し、伝えていくことである。その道で真剣に取り組んだ選手達が、試合の勝負を忘れて、理解しやすい運動学方法論を確立することの必要性を忘れてはならない。