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 3-13 生きていくための知識


人は、生きていくために最小限の知識や体験が必要である。阪神大震災が起こって、初めて生きるための知識が確認された。直面した人たちは勿論、隣の人たち、遠くで見た人たち、そして政治家達、世界中の人たちがみんな生きた勉強をした。お見舞いに行こうとした人がたくさんいたけれど、困ったことには「一体何を持っていけばよいのか?」が解らなかった。電話をかけても通じない戸惑いは大きかったであろう。


現地にいる人のことを考え、すぐに見舞いに行った人は、自分自身のことを考えていない人が多かった。見舞いに行った人も腹がすくし、水も飲みたくなるという、当然のことが予想されていなかった。最低限命を長らえるために必要な水を準備する余裕さえも持っていなかったのだろう。突然の不慮の出来事にうろたえて、冷静・的確な判断や行動ができなかったようだ。死ぬ思いで帰った人がいると聞いている。昔から「ミイラ取リガミイラニナッタ」という言葉も、この様子より思い出された。


この文章を読んでいる人は、阪神大震災のような不慮の出来事に出会っても自分だけは何事もなく逃れられると思っているであろう。水も水入れも、忘れず準備出来ると思っていると思う。しかし、それは思うだけで出来ないのである。そこで、自分に発生したときには、必ず何もできないと仮定して、なにかが起こったときに持参する品物をひとまとめ(災害時避難セット)にしておくことが急がれる。


最近、学校でもキャンプや体験学習が行われているらしい。しかし、密度の高い学習ではなく、遊びに近いものとなっているようだ。最低限生きるために必要な知識や体験は、低い得点(評価)では、自分の命を落とすことになる。生きるためには、体力こそが重要と考えられがちであるが、本当に大事なのは、判断力や心の問題が大部分であろう。指導者は、教える上で数十倍の能力(心の豊かさ)が要求されているのである。このような知識や体験は、ときどき地震などの不慮の出来事のときに生きてくる。小さいころから学んでおくべきである。